わかさぎ

感じたことを書きます。

靴下の履き方

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数を積み重ねることに喜びを覚えると、加速度的に擦れは進む。たぶん一即一即が作業になってようやくナンパ師としては一人前。少なくとも僕の知る凄腕たちはみんなそんな風に見える。いちいち色ボケしていたらキリがないし、そういう人は淘汰されていく。男女の出会いではなくゲームとか競技と割り切って、定量的な成果のみに目を向けて、恋愛感情などの余分なものを排除しないと疲れるから皆、適応進化していく。

僕とて例外ではない。即はいつも同じような流れで、そこに特別な感情が湧くことは今では滅多にない。鈍感なフリを続けていたらいつのまにか本当に鈍感になっていた。知らず知らずのうちに浴びていた「非モテ」とか「女の代替可能性」とかそれっぽい言葉に侵されて、ありがとう以降メッセージを続けることもほとんどなくなった。執着からの解放を謳って始めた活動だから一応目的を達成している。

人間関係の大抵の悩みは期待しなければ解決する。先手を打つのだ、先にこちらから切れ。そうすれば傷つくことはない。希望の先の絶望に怯えるなら深入りするな。とどのつまり人生は孤独だ。そんな宗教的な盲信を続けているとどの出会いも静かにフェードアウトすることがデフォルトになる。

がしかし、そんな中でも訳もわからず心が動く出会いというものは存在する。ラットレースからの脱却を可能にする何かを秘めているかもしれないと期待してしまう子に出会い、ナンパ師としての取り繕った自分を完全に排除したくなるときがある。

 

また会いたいなと思う子が引っ越すのは初めてのことだった。大抵は食いつきがなかったり、自分が興味をなくしたりして二度と会わなくなるから、そんな風にどうしようもない理由で物理的に会えなくなることは初めての経験だった。だからかは分からないが、即りながらとても悲しかった。上記の例外的な出会いであったゆえに、出会えた喜びより、少しの時間で離れてしまうなら出会わない方がよかったとすら思ってしまった。本気でなんでもっと早く目の前に現れなかったんだとブチギレたくなった。

生産性のない話が好き。ペンギンは僕たちが生きてる間に空を飛べるようになるかとか、電車の窓から見たUFOの話とか、ダンゴムシとてんとう虫どっちが強いかとかよくそういう話をよく女の子とする。着地点もなく連想ゲームを続けるその無意味な時間が、即という刹那的な事象にマッチしている感じがして心地いいから自然とそういう話をしてしまう。

この日も靴下のスタイリッシュな履き方とかを話したけど、本音ではこの子とはそういう話をしたくなかった。会うのが最後であるという事実を受け入れているようで嫌だった。何かこの子の人となりが分かるような真剣な話がしたかった。でもその日以降会えないのは分かっていたからやはりそういう話に落ち着いた。

チンボ貸しのピエロでいることで均衡が保たれているその関係を崩してまで相手と深く繋がりたいと思うのは容易ではない。少し気を許した瞬間に現れるのは非モテと形容されてしまう自分。ただ一時的に繋がるに値する魅力の閾値を超えただけだという事実に直面する瞬間は何度も味わっても苦しい。

まだ1日だけ猶予があったから

「今日の夜も帰ってきたら困る?」

と聞くと

「うんーそれは困るかな。流石に準備しないと笑」

と返された。

真性グダが何かとか考えることなく素直に家に帰った。確かにそうだ、準備大変だよなって言い聞かせたし、これからも一生言い聞かせる。

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テレビ台も片付けられた、ダンボールが沢山積まれた部屋で2人で見るひつじのショーンはまあまあ面白かった。

って斜に構えてみても何故か無限に泣ける。

カップラーメンを2個も食べたのはなるべく多くのゴミを出したかったから。