わかさぎ

感じたことを書きます。

端緒

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「お姉さん!これ落としましたよ!」

進学で上京した親友に久々に会うために僕は東京を訪れた。混沌とした日本一の繁華街を初めて歩いたとき一際印象に残ったのは、夜の歓楽街を彩る仰々しいネオンサインでも、京都にあるどの建物よりも高いビルでも、目眩がするほどの人の多さでもなく、街を闊歩する何者かから発せられたこの一言。

猫缶を片手にしらみ潰しに女性に声を掛け街を彷徨う彼の姿は、異質という言葉で片付けることなどできなかった。筆舌に尽くし難いほどの衝撃で、これまでの常識を跡形もなく破壊した。聞いたことはあったが実際にこの目で見たのは初めてのことだったからだ。

いわゆる、ナンパ師。

街で女性に話しかけて出会いを生み出し

洗練されたトーク、容姿で女性を魅了し

最短距離で深い関係になる

そんなことを目指す人たちのこと。

周囲の人は皆彼に冷たい眼差しを向けていた。それは親友も同じだった。もし僕も似たような反応をして彼を視界の外に追いやっていれば、このことは東京旅行の土産話の一つになっていたに過ぎないのだろう。しかし結果的にそうはならずこの出会いは僕の人生を大きく変えるものとなった。

僕は彼の声掛けに魅せられた。

机に向かい続ける予定調和で閉塞的な日常を打破する何かを漠然と探していた。無難であることが正義とされる機械的な生活から逃避したかった。そんな時だった。変化を起こすならこれしかない!そう確信した。できるかどうかより、やりたいという気持ちが大きかった。子供の頃の未知のものに対する純粋な好奇心に似た感情が生じていたからだ。

女性経験にも疎く真剣に人を愛したこともなかった。高校時代に出来た彼女との日々は紛れもなく承認欲求のための恋愛ごっこにすぎなかったし、進学しても特段自分を愛してくれる人と巡り会うことはなかった。生きている以上性愛から逃れられないとは分かっていたが、現状では他人を羨むことしかできない。そんな自分を変えたいという気持ちも大きくあった。

街に出るまでには多くの時間を有した。指先でスワイプするだけで異性と出会えるこの時代に、恥も外聞もかなぐり捨ててまで無秩序に街で出会いを創出しようとする意味など無い。そう保守的になる自分を説得することは容易ではなかった。しばらくして、Twitter上で密かに策動し続ける師たちの姿を認知しても、人に迷惑をかけまいと生きてきた少年の一歩を踏み出す手助けにはならなかった。

自分が踏み込めるような世界ではない。そこまで躍起にならなくても、そのうち自分を愛してくれる人が現れて、真実の愛が何たるかについて旧友と語り合える日が来るだろう。そんな呑気なことを考え、若さを浪費し日々を過ごした。その間、用語やトークスクリプトなどの知識が増えていくだけで特に何も起こらなかった。気になるあの子には彼氏がいることが分かった。東京住みの親友はいつの間にか愛する人を見つけていた。

踏ん切りがついたのは、アプリで出会った子に足蹴にされながらもその状態に心酔していた自分に気がついた時。無視されないだけマシだと、偶然繋がれたその子に媚びていたら、大した異性絡みのイベントもなく夏休みも残すところ一週間となっていた。隠喩だらけの片思いソングを聴きながら、メッセージ画面を食い入るように見つめる弱々しい自分に遂に嫌気が差した。どこかで暗躍しているナンパ師たちが高らかに成果を報告する様を、指を咥えて見るだけの日々はもうやめにしたい。声をかけるだけで何かが変わるかもしれないならその可能性に賭けてみよう。生まれてから背負い続けている忌々しい肩書を捨てるまでなら、と街に出ることを決意したのは十八の夏終わりだった。

 

「おつかれ!あの、歩幅めっちゃタイプ!笑」

お気に入りの台詞一つを拵えて僕は街に飛び出した。そこには待っていたのは想定していたよりも残酷な現実。誰も僕の話を聞いてくれないし、目も向けてくれない。街を行き交う数多の女に無視される経験など当然初めてで、何度も逃げ出したい衝動に駆られた。自分は街の誰にも必要とされていない、全員に敵視されている存在のように思えた。自尊心を激しく傷つけられ、感じたことのない屈辱を味わったが、出会いがないと嘆くだけで何もせず、若さを無駄にするよりマシだと街を必死に這いずり周った。

「何それ笑」

足を止めて話を聞いてくれる人が初めて現れた。彼女は仕事帰りで疲れているにも関わらず、街を徘徊する不甲斐ない男の言葉に耳を傾けてくれた。

「仕事疲れたでしょ?アイスでも食べよ笑」

「えー笑 別にいいけど。」

話を聞くと楽器の演奏者をしているらしい。楽器だけでは食べていくのが難しく、居酒屋のバイトを掛け持ちしていること、勉強が苦手でよく学生時代は課題を友達に手伝ってもらっていたこと、結局は仲良い友達と2人で遊ぶのが落ち着くことなど、様々なことを赤裸々に語ってくれた。

先程まで他人だった人とお互いの近況を話すという初めての経験が何だか可笑しく感じて思わず笑みが溢れた。そのときの僕は全てが辿々しかったと思う。発せられるユーモアは台詞のようで機械的だったし、年齢詐称も徹底しておらず会話に齟齬が沢山あった。さらに、自分から飲みに誘ったわりにお酒は飲み慣れておらずすぐ顔を赤らめ、その癖ホテルの場所はちゃっかり把握していて下心が露呈していた。それにも関わらず、彼女は僕の全て提案に快く応じてくれた。そんな彼女を二人だけの空間に誘うのは容易いことだった。

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「おかげで、明日からも仕事頑張れそう笑」

初めての経験だと悟られてはいけない。普段から遊び慣れている男を演じなければいけない。ずっとそう思い、偽りの自分を作り上げることに必死だったので正直楽しむことは出来なかった。にも関わらず、彼女のあの笑顔は本物だったと思う。改札で小さくなる後ろ姿を見送ったときの感情は未だに言葉で表すことは出来ない。

達成感の一言でまとめてしまってはあまりにも稚拙。何かとんでもない世界の秘密に気づいてしまったような。取り返しのつかないことをしてしまったような。呆気に取られてその日は帰路についた。冷めやらぬ興奮は紛れもなく自分の手で一から作り出した出会いによるものだった。こうして生まれて初めて女性と肌を重ねたのは街に出始めて四日目のことだった。

声を掛けるだけで女性と繋がることができるという迷信じみた言説は嘘ではなかった。もっと多くの人と繋がってみたい。そう思うのは当然であった。刹那的な関係をひたすらに重ねた先に見える景色がどのようなものであるか知りたい。どうせ暇な大学生活、若気の至りを免罪符に愛欲に溺れてみるのもいいかもしれない。一度きりの人生で後悔しないためには、明日からも街に出続ける必要がある。そう直感した。猫缶を持つ彼に衝撃を受けてから三ヶ月ほど経った頃の話である。